都心部について考えてみた。

銀座4丁目交差点

霞が関官庁街

「東京都心」というと、広義としては東京23区と捉えることができます。狭義においては、23区のうちでも国の行政機関や金融機関、大企業の本社等のオフィスが集積している場所であり、店舗等の商業施設が高密度に集積している場所といえるでしょう。国の行政機関が集中する霞が関、国会のある永田町、金融機関の本店が集中する丸の内を擁する「千代田区」、銀座や日本橋等の日本の代表的な商店街や証券会社の街である兜町や日本銀行の本店のある「中央区」、今後、東京の交通の中心となりうる品川駅や六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズなどの超高層オフィスビルがり大手企業の本社が集まる「港区」は従来から「都心3区」と呼ばれてきました。
また、これに対して東京都が機能分散を目的に1958年に「新宿」「渋谷」「池袋」を副都心として指定しています。(その後、臨海副都心などいくつかの指定がされていますが副都心といえば、この3都市をイメージする人がほとんどでしょう。)「新宿」には東京都庁が移転し東京都の行政の中心となり、高層ビル群には多くの企業の本社があります。「渋谷」は109やパルコ等の若者向け商業施設を中心に東京で一番の賑わいのある商業都市として発展してきましたが、さらに東急東横線の駅の地下化に伴い多数の高層ビル計画ができるなど更なる発展を目指しています。「池袋」は西武・東武の始発駅でJRの駅の乗降者数では新宿に次いで2位となっています。(1日定期外+定期合計平均566,994人/1日(2018年)、新宿は789,366人/1日)

実際に東京を自転車で走ってみた場合の私の実感は次の通りです。

実感できる都心部の境界は…

私には以前から「都心部=山手線の内側」という考えがありました。しかし、この考え方では、銀座も、日本橋も、兜町も、東京都庁も、渋谷のスクランブル交差点も、全て都心部から外れてしまいます。そこで東側、西側、南側、北側で都心部と実感できる境界が何かを考えました。

東側:隅田川(中央区東側境界線) 西側:環状六号線(山手通り) 南側:環状六号線(山手通り) 北側:中央区、千代田区、新宿区の北側境界線

勝鬨橋と晴海トリトンスクエア

勝鬨橋からの風景

 

東側の「隅田川」を隔てて建物の高さが明らかに変わってきます。町名と建物名が混ざりますが、西側には銀座、築地、聖路加病院、住友ツインビル、日本アイ・ビー・エム本社等が続くのに対して、東側は越中島、門前仲町、清住、森下など低層で下町となります。ただ墨田川河口付近には月島、勝どきなど高層マンションも多くありますが晴海トリトンスクエアなどの高層オフィスビルもあることから中央区については都心に含めて考えたいと思います。

西側については、環状六号線(山手通り)が境界でしょう。環状六号線の東側には東京都庁を含む新宿超高層ビル群があります。(なぜ新宿に超高層ビル群ができたかは後で述べます。)そして明治神宮・代々木公園を挟んでNHK、そして渋谷109、パルコ等の大型商業施設があります。環六西側には環六沿いに東京オペラシティなどもありますが、境界を引くとするとこの通りとなるでしょう。(今まで「山手通り」と記載してきましたが、今後は「山手通り」と「環状六号線(環六)」は同等のものとして両方の表示を使いたいと思います。)

南側についても、環状六号線(山手通り)が境界と考えます。南側では環六と山手線の間を目黒川が走ります。環六の内側に松濤、青葉台という高級住宅街、代官山、目黒の権之助坂商店街、五反田駅の南側の繁華街と続きます。その後、環六は大崎駅を通り国道1号線では、京浜急行新馬場駅付近で交差します。このように環六と山手線の間は高度商業地域やそれに準じる商業地域と高級住宅街で形成されます。例外は恵比寿の南東(中目黒と目黒の間)には自衛隊が存在しひっそりとした空間を作り出していることです。

最大の問題は北側の境界をどのように判断するかでしょう。具体的には山手線とするのか、中央線(細かく言えば中央線周辺の繁華街を含むため、中央線よりやや北側(千代田区、中央区、新宿区の北側境界線)とするか、です。この地域には駅でいえば「池袋」「上野」があり、日本の最高学府の「東京大学本郷キャンパス」等があります。しかし公示価格を見てみると、最高額で渋谷2870万円/㎡、新宿3680万円/㎡、東京3670万円/㎡に対して、池袋1450万円/㎡、上野1100万円/㎡と大きな差が生じています。また中央線より北側は比較的小規模な低層住宅街が広がっており、青山、赤坂、六本木、四谷等繁華性の高い商業地域が広く広がる中央線より南部との環境の違いも大変大きなものとなります。このように見てみると、都心について北側の境界線は中央区、千代田区、新宿区の北の境界線と私は考えます。

以上から、「東京都心」は環状六号線と隅田川に囲まれ、北端を中央区、千代田区、新宿区の境界線とした地域と考えます。先ほど都心3区と記載しましたが、この見方からすると東京都心は「千代田区」「中央区」「港区」「新宿区」「渋谷区」の都心5区が現実的かと思います。

新宿駅西口は、なぜ超高層ビル群となったのか?

環状六号線(山手通り)と山手線の間で特筆すべきことは、新宿駅西口の超高層ビル群でしょう。渋谷も現在、東急東横線の駅の地下化に伴い超高層ビル群へと変貌を遂げていますが、他には一地域に集中して超高層ビルが建ち並ぶケースは例がないでしょう。それでは、なぜ新宿駅西口には超高層ビル群が建ち並ぶことになったのでしょうか?

現在、超高層ビル群と新宿中央公園のある「西新宿2丁目」と「西新宿1丁目」の西側の区画には1895年から1965年まで「淀橋浄水場」でした。(上の地図。やや自信なし。アバウトで見てください。)敷地面積約34haにも及ぶ広大な面積です。この浄水場には玉川上水から水を引き入れ、新宿区、千代田区、中央区、港区、文京区、台東区、渋谷区、中野区、北区、荒川区に給水していました。淀橋浄水場は1960年に完成した東村山浄水場を引き継ぎ、1965年にその役割を終えました。

新宿駅西口では、新宿駅西口の地下からの道(中央通り)沿いに超高層ビルの敷地が並び、新宿駅西口の1階から出た高さの道(東通り、議事堂通り、都庁通り、公園通り)が上に横切るという立体的な街の構造に違和感を感じたことはありませんか?これは高層ビル群が淀橋浄水場の「底」に建築されたためです。

そしてこの跡地は新宿公園と超高層ビル群の敷地となりました。現在、淀橋浄水場跡地に建つ主な超高層ビルは次のようなものがあります。

損保ジャパン本社ビル、新宿野村ビル、新宿センタービル、新宿三井ビル、京王プラザホテル、新宿モノリス、KDDIビル、新宿住友ビル、新宿NSビル、東京都庁庁舎

最初に竣工したビルは京王プラザホテルです。1968年に京王電鉄が東京都から用地買収を行い、1970年に47階の建物が完成し翌年竣工式・グランドオープンを行っています。そして東京都庁舎は以前は丸の内にありましたが、老朽化により1985年に東京都議会により現庁舎に移転することが議決され、著名な建築家である丹下健三の設計により1990年に完成、1991年に丸の内からの移転となりました。

このように新宿駅西口には淀橋浄水場という広大な施設の跡地があったからこそ、多数の超高層ビルが建ち並ぶことができたのですね。現在、「淀橋」という名前は「ヨドバシカメラ」など、ごく一部に残されています。新宿公園には、今でも「旧淀橋浄水場六角堂」が残されています。

西新宿の超高層ビル群に行ったら、土地の高低差等、是非実感してみてください。

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